絶品ゆどうふのタレ

ふと気づいたことを綴るだけのメモ

必要十分なリッチさ

携帯端末のリッチインターフェースなんかの話をしていて、ニュースやらはてブ何かを読む時に俺としては
「別に文章がちゃんと読めればいいじゃん。」なんて思ってるんだけど、
「いやいやPC版と同じレベルで読みたいじゃん。」と反対されたりした。
でも俺としては、画像を携帯でDLしたりする時間待たされるぐらいなら、サクサク読みたい。
で、「これは重要だ!」と思った記事だけを特別に指定してきちんとしたページで読めればいいと思ってる。


少なくともこの先10年程度の間に実現される技術をどんなに高く見積もっても、恐らく
「流入してくる情報に対して自分フィルタリングをかけなくてもよい」と思える高密度の情報だけを取得する状態を個々人の労力を費やすことなく(システムのみの仕組みとして)作り上げることは不可能だと思っている。

疑似的にその労力を減らすシステムは作り上げられるだろうけども、それでも人間フィルタリングがほとんど必要なくなるレベルまでその水準を持ち上げる技術は、しばらくの間実現されないだろう。

だとすれば、システムとかインターフェースを考案する際に重要になってくるのは、いかにフィルタリング効率を上げるかということになってくるわけであって、そのためには人がフィルタリングを実行するために必要十分と感じるリッチさの度合いを探らなければならない。
そこをすっ飛ばしてとにかくリッチに仕上げようと考えてしまうのは、むしろレイテンシが人の処理を邪魔するインターフェースを作ることになってしまう気がする。